一番好きな季節は初夏かもしれない。
好きなものシリーズを書くと言ってからだいぶ日が開いてしまった。
なんだかバタバタしていてどうも心に余裕がなかったのである。
まぁ、言い訳である。
今日は大好きな緑の話をしようと思う。
緑と言っても色ではなく、いわゆる葉っぱである。
紅葉の美しさはよく取り上げられるけれど、実は緑の葉っぱもとても素敵だ。
とくに初夏の葉っぱたちは本当にいきいきつやつやしていて、いかにも生命力がみなぎっている感じがして、見ていると元気が出てくる。ような気がする。
京都に瑠璃光院という有名な場所がある。
比叡山のほうへ向かって電車にずーっと揺られていくので、中心地からはかなり距離がある。
数年前、初めて行ってみたのだけれど、まさに緑が元気な初夏の頃。
瑠璃光院といえば、ぴかぴかに磨き上げられた床に紅葉が映り込む「床紅葉」が有名なのだが、このときはまだ葉っぱは緑。青紅葉だ。
その青紅葉が床に鏡写しになって、同じように緑色に輝いていて…
それはそれは今まで見たどんな緑より美しく、夢中で写真を撮ったり眺めたりした。
実はこの時、珍しく一人旅ではなかったので、連れに「どうしても死にたくなったら死ぬ前に見に来ようと思う」というようなことを言ったら、さも私が冗談を言ったかのように笑いながら「なにそれ」と返された。
もちろん冗談ではない。私は大まじめだった。
死にたいくらいいろんなことに疲れてしまったときでも、こんなに美しい景色が目の前に現れたら死ぬ気も失せそうだと本気で思ったのだ。
(最終的にこの連れとは残念な形で縁が切れて、もはや今どこで何をしているかもわからない)(当然の結果のような気もちょっとだけしている)
緑の美しさに目覚めたのは、この時だったのかもしれない。
幸い、死にたくなって瑠璃光院に足を運んだことは、今のところない。
京都の話ばかりになるけれど、伏見稲荷の緑もとても良かった。
緑の中を歩いているときの空気が良いのだ。
土のにおい、独特の湿度、ひんやりした空気。
森のようなところが特別涼しいのはなぜなのだろうか。やっぱり土や木が水を含んでいるから?
加えて荘厳な雰囲気があり、あんなにたくさんの鳥居が連なっているにも関わらず、陰気な感じは一切しない、清々しいところだった。
鞍馬山は涼しくはなかったけれど、あそこはあそこで大自然を満喫できて、人間の小ささをあらためて実感することができたのでとても良かった。
もう少し奥まで行けば天狗にも会えそうだった。
が、自然の厳しさに負けてわりと早めに引き返してしまったので、膝が回復したらリベンジしたい。待ってろ天狗。
実はコロナの影響で今年の京都行の予定が潰れており(4月に行く予定だった)私は「あの感じの緑」に非常に飢えていた。
先日、もう我慢ならなくなって「都内で清廉な空気に触れられるところはないか」とTwitterで投げかけたところ、数人から「等々力渓谷はどうか」とリプライをもらい、人が多そうな時間を避けて行ってみた。
よかった。本当によかった。
語彙力のなさがつらい。
でも、よかったのだ。
ただ、やはりマスクごしでは独特の湿度だったり土のにおいが感じられず、周りに人がいなくなったタイミングを見計らって、少しだけマスクをはずして肺いっぱいに空気を吸ってみた。
最高だった。。。
緑の写真を見るのも好きだが、やっぱり五感で感じるのが好きなのだな、となんだか納得してしまった。
せせらぎの音がしたり、水面がきらきら光ったり、大きなカタツムリやタニシがいたり、蜘蛛が大きな巣を張っていたり…私は光っているものと大きいものが好きなのか?子供か。
それから、写真だと写っている部分しか見えないけれど、その場に行けば興味を持ったところに自分でフォーカスを合わせてじっくり楽しむことができる。
そういうところも含めて、やっぱり体感するということが私にとっては大事なことなのである。
舞台が好きなのもこれと同じで、その世界を「体感できるから」なのだと思う。
余談だが、等々力渓谷の奥にある不動の滝もよかった。
なんか超かっこよかった。
語彙力のなさがつらい(二回目)。
いや、かっこよかったのだが、滝の前で一心不乱にお経を唱えているおばあさんがいたため、邪魔したら悪いかなーと思って比較的すぐ通過してしまった。
今度は立ち止まってゆっくり眺めたい。
そして、コロナが落ち着いたらやっぱり京都に行きたいな、と京都に思いを馳せるのであった。
結局、京都と等々力渓谷の話になってしまったが、緑はいいぞという話だった。
まだ当分は都内からは出られそうもないので、緑が素敵なスポットを都内で見つけたらぜひ教えてほしい。
極力密を避けて、深呼吸をしに行こうと思う。