その理想は自分を追い詰めてはいないか?

久しぶりの更新です。暖かくなってきた3月半ば、かと思えば急に寒くなって殺す気か?と怯える日もある3月半ば。いかがお過ごしでしょうか。

私は今月、舞台本番があるわけでもないのになぜか非常に忙しい。というのも、普段の仕事の休みに芝居の仕事を入れたりして、もう休みが休みじゃないのである。これは仕事をほいほい引き受けた私と、申請出しづらいなぁ…まぁいけるっしょ!と休みを多めに申請しなかった私が悪い。他の誰のせいでもない。そして今日、忙しさに加えて3回目のワクチン接種や殺人的な気圧変化などさまざまな要素が重なって、ちゃんと体調を崩した。ワクチンと気圧はさておき、忙しさに関しては自業自得である。

 

そこで、どうしてこんなことになってしまうのか自分なりに考えた。どうやら私の中には忙しくしているのを是とする感覚があるらしい。いわゆる「売れっ子」状態に憧れている。そりゃもう憧れている、昔から。だからオファーをもらった舞台やイベントに頑張って全部出演して、合間でバイトも頑張って、最終的に本番の終わりを待たずしてぶっ倒れたこともあった。その節は大変ご迷惑とご心配をおかけしたし、倒れたことを大々的に言えなかったので「なんだあいつは、せっかく来たのに挨拶もなしに消えて」と思われたお客様も中にはいらしたかもしれない。本当にすみませんでした。

忙しくしているのが体に合っている人(止まったら死ぬマグロみたいな人)は、もちろん忙しくていいのだ。そういう人は私みたいなスケジュール組みしてもぶっ倒れないだろうしね。問題はそうでない人間だ。忙しいのに憧れて真似してぶっ倒れるのは愚かでしかない。そう、私である。逆に止まらなかったら死ぬのだ、私は。なのに頑張ろうとしてしまう。

思い当たる理由はいくつかある。まず、せっかくいただいたオファーを断ったら次からオファーがもらえなくなるかもしれないという恐怖。でももし本当に村田結香を必要としてくれるなら、そのときだめでもきっとまた別の機会に声をかけてくれるはずなのである。それから、頑張る自分エライ!とか、忙しくしててカッコいい!とか。これは要するに自己満足である。恥ずかしいね。あとは、頂ける予定の報酬だったりお給料の計算をして両目がチャリーン!!と¥マークになって引き受けてしまうこともあるし。お金が好きなので…。こうやってあらためて書き出してみると、無理する理由が大体しょうもねぇ。しょうもなさすぎて笑えてきた。

いやいや、名誉の為に言うと、そういった雑念ばかりではない。「絶対に出たい作品だから!」「絶対にやりたい仕事だから!」こういう理由のことだってある。これは無理するというか、頑張るに値する理由である。だったら、今度は別のところでの帳尻合わせを考えなくてはならない。だって私は全部に全力は注げないのだから。ここの自覚が足らんのだよなぁ、我ながら。手抜きをするというのではなく、力を抜けるところは抜き、休めるところは休む。というか、休む時間を意図的に確保する。私に必要なのはこれである。というか自分の性質をわかっていればできることなんじゃないのか?

 

少し話が逸れるが、最近普段やっている仕事で「あなたは賢い子だなという印象だけれど、それがお客様に冷たい印象を与えることもあるかもしれない」というお話を賜る機会があった(怒られたわけではない)。それはそれは驚いた。普段の村田はわりとポーカーフェイスなので、きっと相手にはそこまで驚いているようには見えなかったと思うが。どうして驚いたかというと、私、まったく賢くなんてないから。しかし、そういう印象を周りに与えているのだとしたら、それは私が賢いことを是として憧れているからだと思う。どのくらい憧れているかというと、幼稚園の頃、好きなセーラー戦士はあみちゃんだったくらい憧れている。だから特別意識せずとも、賢そうな話し方や振る舞いをしているのである、たぶん。このブログの文章も、もしかしたら賢い風に見えているかもしれない。それはこういう文体のエッセイとかを読むのが好きだから真似してるだけだけど。

 

で、この二つの話で何が言いたいかというと、憧れに寄せるために自分の持ち味や本来の性質を殺してしまってはいないだろうか?ということ。その理想は果たして自分に合った理想なのかどうかは都度考える必要があるなと思った。

とりあえず、今月みたいな過密スケジュールは私には向いていない。今度から絶対やめよう。とベッドの中で心に誓う村田なのであった。