合言葉は「がんばらない」

また久しぶりの更新だ。

インプロカンパニーPlatform 第20回公演「正義のみかた。ー作戦決行!ふたまるまるー」応援、ご観劇、本当にありがとうございました。おかげさまで元気に完走することができました。

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てなわけで、稽古期間から本番中に至るまでで見つけた、書き記しておきたいことを少しずつ書いていく。興味があれば読んでほしい。


稽古も終盤に片足を突っ込んでいた頃だったと思う。もう残りの稽古日は片手で足りるほどだ。でも、自分で自分の仕上がりにまだ全然納得がいっていなかった。このまま本番を迎えてしまうのか?と気持ちが焦る日々。

なのに「よし!今日こそ頑張るぞ!」と力を入れて臨んだときほど思うような結果が得られず、疲れるわ上手くいかないわで踏んだり蹴ったりだなチクショー!ということがよくあった。こんなに頑張ってるのに、リターンがあまりに少ないのだ。これは何なんだろう?と私なりに考えていた。


私は基本的に頑固で意地っ張りな人間なので、心が折れて本当は泣き出したくても、緊張でいっぱいいっぱいでも、疲れきっていても、まっすぐ立っていようとすごくすごく踏ん張ってきた。と思う。(それでも踏ん張りきれなくて、人前ではらはらと泣き出したことも数知れずだけど…)芝居づくりの場ではとくにそうだったと思う。他のことは大体なんでも譲れるのに、芝居に関しては譲れないものがたくさんあって、踏ん張ってきた。それが私の正義であり、美学でもあった。たぶん。


しかし、インプロの場ではそれがどうやら足枷になってしまうようだった。というのも、出番の前に「よっしゃーやったるぁ!!」と己を奮い立たせていたときより、出番直前までみんなのシーンを楽しく観ていて、あんまり力まずにほわぁっ…としているときのほうが断然調子がよかった。これは偶然ではないと思うんだけど、一体何なんだろう。存在は感じるのに実体が掴めずにいた。でも、感覚は掴んだ気がする。そんな状態で本番になだれ込んでいった。


幸い、本番は調子がよかった!感じていたとおり、調子がいいときの感覚は掴めていたのだ。ここで、みんなのシーンを観ているときの私の写真を、ぜひご覧いただきたい。

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本番中、自分の出番の直前までこんな楽しそうに仲間のインプロを観ていたんだぜ。信じられるかい?


そして、本番4日目の朝だっただろうか。演出のみくみんさんが「疲れが出てくる頃だと思うけど、その疲れをなかったことにせず、いつも通りにやるために疲れているという自覚を持って、一つ一つ丁寧にやっていこう」というような声がけをしてくれた。それを聞いた時、そういうことか!と私の中のたくさんの点がバババッと一気につながった。

そう、今までの私は心が折れていることや、緊張や疲れや、なんかそういったマイナスっぽく見える要素を全部なかったことにしようと躍起になっていた。でも、そんなのは無理だ。だって実際そこにあるんだもの。それに、自分の今の本当の状態が把握できていれば、対処ができる。たとえば疲れているのを無視して段差をかけ上がったら躓くかもしれないが、疲れていることを自覚していたら躓かないように足をしっかり上げることができるだろう。無理して誤魔化すのは、対処とは言わないのだ。

そもそも私は、それらを認めることをいけないと思っていたんだと気がついた。心が折れてはいけない、緊張してはいけない、疲れていてはいけない。いけないばっかりで雁字搦めになっていたら、本来の力が発揮できなくなるのは当たり前だ。

そんなことに気づいたらなんだか気分が軽くなり、体や脳みその疲れはもちろんあったけど(笑)それらも連れて、楽しく残りのステージも駆け抜けたのであった!疲れた時ほど研ぎ澄まされるものもあったり、普通にバグったり(それが逆によかったり)なんかそういう面白さも見出せた気がする。


そんなこんなで本番を終えて、私はパワーアップしたぞと自信を持って言える。疲れだって緊張だって、どんと来いだ。全部抱きしめてやったるぁ。心が折れることは無いに越したことないけど、折れたときはもう踏ん張らずに素直につらいよーって泣こう。良くないと思ってるものを認めるのは怖いけど、たぶん良いも悪いもないんだ。全部自分の勝手な思い込み。全部とほんわか手を繋げたなら、きっともっと強くなれる。

でも、こんなことを考えていたのを忘れるくらい、踏ん張りたくなるときがまた来るんだろうなぁ。そんなときも思い出せるように、短い言葉で。

合言葉は「がんばらない」!