そのままの自分に価値なんてないと思っていた。

表題の言葉、実際に言ったら各方面からめちゃくちゃ怒られそうだから口には出さないけど、マジでそう思っていた。

 

芝居ができるから、

アクションができるから、

若くてかわいいから、

価値があるのであって、それらがなければ価値がないと思っていた。

 

実際、私はもう三十路を超えている。すでに若さはなくなりつつある。

若くてかわいい、という価値はもう消えてきている。

かわいこぶっているときもあるが、一応自覚はあるのよ。

 

さらに、現在膝が故障していて(この話はまた詳しく)

アクションはやめときなさいということになってるので、舞台のオファーをいただいてもお断りせざるをえなかった。

アクションができるという価値が、一時的にではあるけど消えている。

(元通りに治るかどうかはまだわからないし)

 

芝居に関しては、ありがたくお仕事としてやらせていただける機会もある。

でも、個人的にはなんだか上手くいかなかったなぁと思うことがある、ダメ出しされたわけじゃなくても。

そんなとき自分の価値に疑問を感じて、つらかったりする。

 

渡された課題が(自分の基準で)クリアできないことや失敗をすることがめちゃくちゃ怖かったのは、多分こういう考え方があったからなんだと思う。

 

アクサガの稽古中、実は一回だけ息ができないくらい泣いた。怖くて。

その時に「何を感じてるか話してみて」と言われて、それを話すのも怖かったけど、素直に何が怖い、何が嫌だ、何が苦しいって話した。

意外にも(よく考えたら意外じゃない。みんなマジでいいやつ)誰も私を否定しなかった。何なら「教えてくれてありがとう」と言ってくれた人もいた。

あの場で私を否定していたのは、私だけだった。

 

たぶん今までもそうだったんだと思う。

誰が褒めてくれても、誰も否定しなくても、私だけが絶対に私を否定していた。

誰かに否定されるのが怖くて、先回りして否定していたのかもしれない。

でも、今なら「それってつまらないことだぜ」と思える。

否定されたらその時考えたほうがいいと思うし、それまでは自分の思うほうへ進んでみたら良いんだと思う。

と、今は元気なので思ってるけど、また弱ったら怖いよ〜ってなるんだろうな。

 

本当は何事にも正解も不正解もなくて、全部OKなんだけど、もしOKじゃないことがあるとすれば

やりたいのにチャレンジしないことや

やる前に全部諦めちゃうことなんじゃないのかな。

これ何かに似てるなーと思ったら、Basicのクラスで教わった「感情に良いも悪いもないよ」って話にそっくりだよね。たぶんそういうことなんでしょう。

 

私が初めてインプロにふれて、持ち帰ったものの一端の話でした。

 

いやーまとまらねぇ。まとまらねぇよ。まとまらねぇので、また別で書くと思う。

興味深いと思ってくれたら、また読んでくれ。

ここまで読んでくれてありがとう。また。