失敗=許せない。怖い。のもとを辿る。

昔から失敗することが嫌いだった。

私、殺陣をやるんですけど

まだ若かった頃、稽古中に抜刀(刀を鞘から抜くこと)で失敗したことを周りに笑われて、それが嫌すぎて大泣きしたレベル。

毎公演、出番の直前まで裏で抜刀の練習をしていたレベル(おかげで本番抜刀で失敗することは一度もなかったが)。

 

今まで失敗しては

周りに笑われたり、がっかりされたりすることばかりだった。

恫喝されたこともあった。

だからなんだろう、

私にとっては「失敗=すると必ず嫌な思いをするもの」で、失敗するとショックで頭がぐるぐるしてしまって、さらに別の失敗まで引き起こす負のスパイラルにハマってしまうことも多々あった。

失敗しないために予防線を張ったり、なんとか誤魔化すこともあった。

 

「インプロは失敗が前提のパフォーマンスです」

 

一番最初の稽古の日にそう聞いて、なんだか背中がざわざわした。

失敗は、怖い。したくない。

だって、また笑われるんじゃない?

怒られるんじゃない?

がっかりされるんじゃない?

自分が自分を許せないんじゃない?

そう体が感じていたんだと思う。

 

失敗への恐怖を克服するために、稽古の中で色々なエクササイズをやらせてもらった。

その中で、仲間たちの様子を見ていてふと気がついた。

 

全力で挑んで失敗する姿って、なんてキュートなんだろう。

 

人の失敗に対してとても寛容になれている自分がいた。

仕事の失敗ではないから気楽に受け止められるのももちろんあるだろうが、こんなに愛らしいものなんだなぁと感心した。

 

でも、自分に対してはなかなかそう思えなかった。

みんなが許してくれても、失敗してる姿が可愛いと言ってくれても、私だけがそう思えなかった。

変だよね(爽やかな笑顔で)(しぐたん)

 

そこから少しずつ少しずつ、たまねぎの皮を一枚ずつ剥くみたいに

自分に対する「許せない」と失敗に対する「怖い」を剥いでいったように思う。

それができたのは、安心して失敗できる場所があったから。見守ってくれる仲間がいてくれたから。

なんか、文章にするとクサイよね。嫌だわ。でも本当のことなので。

周りの環境って大切やなぁとあらためて思った。

 

実は「許せない」も「怖い」も、まだ全部剥ぐことはできていない。

そりゃあそうだ、ウン十年分の経験が詰まっているのだから。短期間で剥がしきることのできるものではない。

でも、少しくらいは残しておいたほうが私だけの味になるような気もする。

「怖くても飛び込む」姿が、見ていて面白いこともある。

何も怖くないより、怖いものがあるほうがなんだかドラマチックだし、奇跡が起きそうな気がしない?私はする。

 

たぶんだけど

「許せない」も「怖い」も、自分が傷つかないための武装なのだ。

「自分を許せない」と思っていれば見逃してもらえるし、「怖い」と感じれば失敗を避けて通れる。それって自分を守るための予防なのだ。

だからそれを悪いと思ってただ排除するんじゃなくて「そう思うのはどうして?」と掘っていくと、本当に怖いのが、本当に許せないのが何なのかわかってくる。

 

私が失敗を怖いと思うのは、失敗したら人に嫌われ必要とされなくなると思っていたからだった。

さらに突き詰めていったら、嫌われたら、必要とされなくなったら自分のやりたいこと(芝居)ができなくなると思っているというところにぶち当たった。

お客さんに必要とされなくなったら、製作側に必要とされなくなったら

私は私のやりたいことができなくなると。

最近は「え?それって本当?」と疑い始めているのだけど…

まぁたしかに、ファン一人もいませんとか、どこからもオファーかかりませんとかなったら、心が折れそうにはなる。とはいえ、イコール芝居ができないにはならないんじゃないかって思っている。

むしろ、心が折れたとき、私は本当の意味で芝居ができなくなるんだと思う。

つまり、私が折れさえしなければこの恐怖は現実にはならないのだ。

 

今までも相当色々やらかしていると思う。

それでも私を必要としてくれる劇団や仲間はいて

楽しみにしていてくれるお客さんも、多くはないけどいる。

だから、私はまだ折れずにいられる。

これからも芝居をやれる。

 

失敗に対する向き合い方が、アクサガ を経てたぶん少しだけ変わった。

これからは失敗しても、ぷるぷる震えながらも立ち向かっていける気がする。わからないけど。

むしろ失敗を飛び越えて別のところへ飛んでいくくらいの気持ちでいたいものだ。

 

はい、やっぱりまとまりませんでした。

未だに自分の失敗する姿は可愛いとは思えないけど、可愛いと言ってくれたことは本当に嬉しかったし安心したんだぜ。

ふつうに生活していては、得難い経験だった。

 

ここまで読んでくれてありがとう。また。