当たり前だけど覆水は盆に返らんのよ。

久しぶりの更新だ。

言い訳に聞こえるかもしれないが、このブログの存在を忘れていたというわけではない。決してない。

最近はわりと普通に暮らしているから、書けるようなネタがなかなか拾えなかったとでも言うべきか。

私はいわゆる"普通の暮らし"をするということをつまらないと思い込み、昔からなんとなく避けてきたような気がするけれど

いざそのような暮らしをしてみると、それはそれで面白みもあり、かつ普通をこなすことがいかに難しいのかを思い知り

(普通が難しいのは社会不適合者だからなのだろうか?わからない。たとえば部屋の片付けが本当に苦手で、散らかりっぱなしだったりする)

生きるということはそれだけで奥深いなぁなどと思う。そんな日々を過ごしている。


いや、今回したいのはその話ではない。


数年前から、不定期ではあるが役者としてのお仕事をいただいている。

役者を使った企業研修の仕事。

もしかするとこれを読んだ人が将来この研修を受けることになるかもわからないので、詳しい内容は書けないが。

同じプログラムの同じ役を、毎回違う受講生を相手に演じさせてもらうことになる。

ちなみに今、私が頂いている役は二役(厳密には三役か)ある。ありがたいことだ。


で、今日だ。

今日のプログラムは、数年前私が初めて役者として参加することになったプログラムだった。

(それまでは裏方をやっていた)

色々マイナーチェンジがあったり、周りの役者が変わったりがありながらも、もう幾度となく取り組んでいるプログラムだ。

だからもちろん台本の内容も頭に入っているし、流れもばっちりのはずだった。

はずだったのだが。


……私が言い訳をしたいわけでないことは先に言っておこう。


色々な要因が重なった。

マスクとフェイスシールドによって、たびたび酸欠状態になっていた私が、ぼーっとしていたのは正直あったと思う。

周りも同じ条件でぼーっとしていたかもしれない。

プログラムが時間通りに進まずなんとなく焦っていたのもあったし、そのために全体的に普段より相当巻き気味で進行していたのもあった。


……結果的に、私が出トチった形になった。


あー、今思い出しただけで絶望の淵に叩き落とされてそのまま沈んでいきそうだ。そしてもう二度と顔を出したくない気分だ。どこまでも沈んでいって私は最終的に貝になりたい。

それは色々考えたさ。

自分に怒ったし、自分が嫌になった。でもちょっとだけ、私だけが悪いんじゃなくない?とも思ったりした。

そんなしょうもない考えがちょっとでもよぎったことに気づいてまた自分が嫌になり、やっぱり悪いのは私だわと凹んだ。反省もした。

ここから何かできることはないのかとめちゃくちゃ考えた。

このままでは次から仕事を振ってもらえなくなってしまうかもしれない。きっと私の代わりはいるだろう…。


でも、ここで私は気づいてしまった。


結局のところ「犯してしまったミスを帳消しにできる魔法のような、私にできること」なんてどこにも無いのだ。

というか、ここで何かやってやろうと欲を出せば、いつも通りではなくなる分また何かをやらかすリスクが上がる気すらする。

怖い。またミスを犯すことだけは絶対に避けたい。

つまり、ミスを犯した私にできることは「ここから先をいつも通り丁寧に、間違いなくやり遂げること」しか無いのだ。

ここで攻めてさらに事態を悪化させるくらいなら、守りに入ったほうがまだ良い。


それに、次の仕事を私に振るかどうかを決めるのは結局のところ先方だ。

私がこのあとどんな良い働きをしたとしても「でもあいつ、出トチったしなー」と思われたら、事実なのでしょうがない。

それを私はどうこうできない。人の思考を止めたり、ねじ曲げることはできないもの。

だから、もがくだけ無駄なのだ。


そして、「そう思われてるかも!そう思われちゃうかも!」と思うのも、どんなに考えても本当のところがわかるわけがないので、これも考えるだけ無駄なのだ。



っつーわけで

反省は鬼ほどしたので、今晩はもうベッドに入ろうと思う。

考えても無駄なら、寝ちまったほうがよっぽど良い。

このプログラム、実は明日まで続くしね。

明日こそは間違いなく、確実に。がんばってくる。

読んでくれてありがとう。みんなは出トチらないように気をつけてくれよな!また書きます。

旅行で一番好きなにおいはホテルのにおいかもしれない。

好きなものシリーズの更新がすっかり滞っていた。

先日の緑の話でもにおいが~とか湿度が~という話をしたが、もう一つとても好きなにおいがある。

それは、ホテルの廊下や階段のにおい。

独特なにおいがするのをご存知だろうか?

あれはもしかしたらカビとか埃のにおいなんだろうか?と最近ふと思ったのだが、真相はわからない。

とにかく、ホテルの中でも人気のない場所のにおいが好きだ。

このにおいを嗅ぐと、なんとなくわくわくしてくる。

 

身近なところだと、研修施設なんかの廊下や階段も同じにおいがする。

こういう場所も、普段はそんなに使われていないところだから、やっぱりカビとか埃なんだろうか?下が絨毯のところが多い気がする。

企業研修のお仕事で都内の色々な研修施設を利用するのだが、場合によっては廊下や階段で待機することがある。

そのときにこのにおいに気がつくと、旅行に来ているような感覚になってちょっとわくわくしてしまう。仕事中なのに。

 

このにおいが好きなのと同時に、家じゃないところに泊まるのが大好きだ。

ホテルはもちろんだが、研修施設への宿泊も良い。

アメニティが全然なくて、最初のときは困ったけど(メイク落としがなくてすごく困った。女性が泊まることは想定していないのかもしれない)最近はもう何があって何がないか大体把握できてきたので準備もばっちりだ。

何なら、この施設の朝食ビュッフェはフレンチトーストが美味しいとかまで把握している(毎回利用するたびおかわりしている)。

研修施設の宿泊部屋は大体こじんまりしているが、せまいところが好きな私には十分だ。観光客などがいないのと、わりと辺鄙なところにあることが多いので、周りが静かなのも良い。

逆にコンビニなどは少し離れたところにしかないのでちょっと不便だが、まあ無きゃ無いで良い。

仕事で泊まっているはずなのだが、わりと毎回エンジョイしている。

 

ホテルでよかったのは、出張で泊まった兵庫のホテル。

部屋はそんなに広くないが(シングルだからね)とてもきれいで、Wi-Fiもあるし、何と言っても大浴場がある。サウナと水風呂もついている。これはポイントが高い。

駅のすぐ前だから、近くにコンビニとかもあって便利。

それから、朝食ビュッフェ。これが最高なのである。

メインが三種類から選べて、どれも美味しそうなのでめちゃくちゃ悩むんだけど、まぁはずれがない。注文してから作ってくれるから、できたてが食べられる。

ビュッフェの会場も、なんだか小洒落たカフェみたいで落ち着く。

バイキング形式の料理も全部美味しい。デザートも何種類もあって全部美味しい。

日によって少しずつメニューも変わっていたり、芸が細かい。

あと、おぐらドッグだったかな?あんこのはさまったホットドッグみたいなものがあったり。これめっちゃ美味しかったのでまた食べたい。

全力で仕事しますんで、どうかまた兵庫へ出張に行かせてくださいお願いします。(会社のえらい人への私信)

 

それから、最近はカプセルホテルが意外とクオリティが高いなと思っている。

旅行に行くときは美味しいものを食べることや観光やお土産にお金をかけたいので、何よりも宿泊費を抑えたいのだ。

早朝から夜まで遊び歩いて、どうせ部屋には寝に帰るだけなので、シャワーが浴びられて寝られればOK。素泊まり上等だ(夕食も朝食も現地のお店で食べるから)。

そんなときのカプセルホテルである。

音や気配に敏感な人には向かないかもしれないが、私は耳栓さえあれば余裕で朝まで寝られた。

女性専用フロアがあって、きれいで便利な立地のカプセルホテルもたくさんある。

連泊すると安くなったりもするし、一人旅なら結構おすすめ。

 

あーホテルのことを書いてたら旅行に行きたくなってきた!

これまでは移動費節約のために夜行バスを使うことが多かったが、次に行くなら絶対に新幹線に乗ってやると決めている。新幹線の快適さったらない。

というか、夜行バスはそろそろ次の日にダメージが残るようになってきたので、到着した瞬間から全力で旅を楽しむためには、やはり新幹線だ。

今度は一泊じゃなくて、三泊くらいしたいなぁ。

カプセルホテルじゃなくて、もう少し良いホテルに泊まるのも良いかもしれない。

現地の美味しいものをたくさん食べて、行きたいスポットも片っ端からめぐって…

ああ、考えただけでわくわくする。

都民の私も早くGo Toしたい。

大手を振って旅行に出かけられる日が来るまで、旅費を貯めつつ、プランを綿密に練っておこうと思う。

ここまで読んでくれてありがとう。また。

一番好きな季節は初夏かもしれない。

好きなものシリーズを書くと言ってからだいぶ日が開いてしまった。

なんだかバタバタしていてどうも心に余裕がなかったのである。

まぁ、言い訳である。

 

今日は大好きな緑の話をしようと思う。

緑と言っても色ではなく、いわゆる葉っぱである。

紅葉の美しさはよく取り上げられるけれど、実は緑の葉っぱもとても素敵だ。

とくに初夏の葉っぱたちは本当にいきいきつやつやしていて、いかにも生命力がみなぎっている感じがして、見ていると元気が出てくる。ような気がする。

 

京都に瑠璃光院という有名な場所がある。

比叡山のほうへ向かって電車にずーっと揺られていくので、中心地からはかなり距離がある。

数年前、初めて行ってみたのだけれど、まさに緑が元気な初夏の頃。

瑠璃光院といえば、ぴかぴかに磨き上げられた床に紅葉が映り込む「床紅葉」が有名なのだが、このときはまだ葉っぱは緑。青紅葉だ。

その青紅葉が床に鏡写しになって、同じように緑色に輝いていて…

それはそれは今まで見たどんな緑より美しく、夢中で写真を撮ったり眺めたりした。

実はこの時、珍しく一人旅ではなかったので、連れに「どうしても死にたくなったら死ぬ前に見に来ようと思う」というようなことを言ったら、さも私が冗談を言ったかのように笑いながら「なにそれ」と返された。

もちろん冗談ではない。私は大まじめだった。

死にたいくらいいろんなことに疲れてしまったときでも、こんなに美しい景色が目の前に現れたら死ぬ気も失せそうだと本気で思ったのだ。

(最終的にこの連れとは残念な形で縁が切れて、もはや今どこで何をしているかもわからない)(当然の結果のような気もちょっとだけしている)

緑の美しさに目覚めたのは、この時だったのかもしれない。

幸い、死にたくなって瑠璃光院に足を運んだことは、今のところない。

 

京都の話ばかりになるけれど、伏見稲荷の緑もとても良かった。

緑の中を歩いているときの空気が良いのだ。

土のにおい、独特の湿度、ひんやりした空気。

森のようなところが特別涼しいのはなぜなのだろうか。やっぱり土や木が水を含んでいるから?

加えて荘厳な雰囲気があり、あんなにたくさんの鳥居が連なっているにも関わらず、陰気な感じは一切しない、清々しいところだった。

 

鞍馬山は涼しくはなかったけれど、あそこはあそこで大自然を満喫できて、人間の小ささをあらためて実感することができたのでとても良かった。

もう少し奥まで行けば天狗にも会えそうだった。

が、自然の厳しさに負けてわりと早めに引き返してしまったので、膝が回復したらリベンジしたい。待ってろ天狗。

 

実はコロナの影響で今年の京都行の予定が潰れており(4月に行く予定だった)私は「あの感じの緑」に非常に飢えていた。

先日、もう我慢ならなくなって「都内で清廉な空気に触れられるところはないか」とTwitterで投げかけたところ、数人から「等々力渓谷はどうか」とリプライをもらい、人が多そうな時間を避けて行ってみた。

よかった。本当によかった。

語彙力のなさがつらい。

でも、よかったのだ。

ただ、やはりマスクごしでは独特の湿度だったり土のにおいが感じられず、周りに人がいなくなったタイミングを見計らって、少しだけマスクをはずして肺いっぱいに空気を吸ってみた。

最高だった。。。

緑の写真を見るのも好きだが、やっぱり五感で感じるのが好きなのだな、となんだか納得してしまった。

せせらぎの音がしたり、水面がきらきら光ったり、大きなカタツムリやタニシがいたり、蜘蛛が大きな巣を張っていたり…私は光っているものと大きいものが好きなのか?子供か。

それから、写真だと写っている部分しか見えないけれど、その場に行けば興味を持ったところに自分でフォーカスを合わせてじっくり楽しむことができる。

そういうところも含めて、やっぱり体感するということが私にとっては大事なことなのである。

舞台が好きなのもこれと同じで、その世界を「体感できるから」なのだと思う。

 

余談だが、等々力渓谷の奥にある不動の滝もよかった。

なんか超かっこよかった。

語彙力のなさがつらい(二回目)。

いや、かっこよかったのだが、滝の前で一心不乱にお経を唱えているおばあさんがいたため、邪魔したら悪いかなーと思って比較的すぐ通過してしまった。

今度は立ち止まってゆっくり眺めたい。

 

そして、コロナが落ち着いたらやっぱり京都に行きたいな、と京都に思いを馳せるのであった。

結局、京都と等々力渓谷の話になってしまったが、緑はいいぞという話だった。

まだ当分は都内からは出られそうもないので、緑が素敵なスポットを都内で見つけたらぜひ教えてほしい。

極力密を避けて、深呼吸をしに行こうと思う。

一番好きなジャンクフードはフライドポテト。

たまに食べるコンビニのごはんや、ファストフードが好きだ。

私の中ではごちそう的位置づけ。

 

子供の頃、母は私にほとんどジャンクフードを与えず、毎日手間暇かけて手作りのごはんを与えてくれた。

だから、たまにしか食べられなかったジャンクフードを逆にごちそうだと思うようになったというわけ。

からしたら、なんだかな〜な話ではある。

 

ここで誤解のないように言っておくと

母の料理は美味しいし、私たち兄弟(私には弟と妹がいる)の好みを完璧に把握しているし、不満なんて一切ない。

実家に帰ると、母の料理は楽しみの一つだ。

そして離れて暮らしている今、私は自炊をするが別に料理が下手クソということはない(強調)。

見た目やクオリティーはさておき、食べられる料理は作れる。

でも、なんだかジャンクフードは未だに特別な存在なので、食べる機会があるとウキウキしてしまうのだ。

 

かといって、毎日食べる気にはならず、やっぱりたまに思いついたときに食べるのがちょうどよかったりする。

だから普段はなるべく自炊をしたり、買ってくるにせよサラダやお惣菜など健康的なメニューを選ぶ(揚げ物は例外)。

これももしかすると母の教育の一環だったのかもしれないな、と最近思う。

(離れて暮らすようになって実は母に色々と暮らし方を仕込まれていたことに気づいたのである)

 

高校の頃は、帰りのコンビニで買う肉まんが大好きだった。

(中学までは通学路にコンビニなんかなかった)(あるのは田んぼだけ)

でもこれも毎日じゃなくてたまにだった。自分のお小遣いから出していたし。

そういえば、今の高校生は帰りにおなか空いたら何を食べるんだろう?ファミチキ

 

美味しいものは生きるためのモチベーションだ。これは間違いない。

でも、ごちそうはやっぱりたまにくらいがちょうどいいのだ。

特別なものを特別なままにするには、ある程度の距離が必要なのかもね。

などと思う今日この頃。

 

しばらくはささやかだけど好きなものの話を一つずつしていこうかと思うよ。

ここまで読んでくれてありがとう。また。

最終的に金子みすゞにたどり着く。

昔、何かの本で読んだ。

演技のタイプは大きく分けて2種類あり、ひとつは感情派、もうひとつは理知派……と書いてあったと思う。

前者はいわゆるイタコタイプ。役を下ろして演技をする。

後者は冷静な自分を持ったまま、演技をするタイプ。

…という感じの内容だったような気がする。すごいぼんやりだけど。

いつどこで読んだのかも、何という本だったかもまったく覚えていないのだけれど、おそらく演劇を始めた高校生の頃に読んだんじゃないかと思う。

その頃は、イタコタイプに憧れていた。

なんか天才っぽいじゃん。カッコいいじゃん。

まぁでも憧れるってことは、そうじゃあないのである。

 

私は芝居中に突然ブワッと泣き出したりするので、かなり入り込んでると思われることもあるようなのだが

実際には、その次の瞬間面白いことが起これば普通に笑えてしまうくらいフラットな状態である。

と言うと、嘘泣きなのかと疑われるかもしれないが、それも違う。

ほら、赤ちゃんってビービー泣いてたと思ったら、次の瞬間キャッキャッて笑うときあるでしょ。泣いたカラスがもう笑ったってやつ。あんな感じ。なので、私は実質赤ちゃん。

その瞬間はほんとに悲しかったり悔しかったりつらかったり嬉しかったり、何かしらを感じて泣いてる。

 

ただ、感情を感じる器官から涙腺までのルートが非常に短いので(短いというかもはや直結してるイメージ)泣き出すまでがとにかく早い。

これは私の欠陥であると同時に武器でもある。いわば諸刃の剣だ。

今はそこまでではないが、若い頃は日常生活でもよく泣いてしまっていた。

泣けば済むと思ってるのか、なんて言われたりもした(思ってねーよ)。

「強い人を演じていれば泣かないでしょ、女優なら普段から演じたら?」と役者をやったことがない人に言われることがある(役者には言われたことないな、そういえば)。

ここまで読んでくれた人はもうおわかりかもしれないけど、私にとって演じることは仮面をかぶることではない。

むしろ、どこまで自分をさらけ出せるかだったりする。

だから、「演技でガードする」という手法は私的にはしっくり来ない。

 

「だったら普段は心を閉じて傷つかないようにすれば良いのではないか?」と思われるかもしれない。

これも私としては違う。

普段から心を全開放しておいたらおそらく傷つきまくって死んじゃうので、2割くらい閉めておくことは必要かと思う。私のような、豆腐メンタルの人間はとくに。

でもね、普段ガッチガチに閉じてる人が、芝居するときだけ急に心を開けるかと言ったら、それは無い。

そして、その閉じてる状態のまま芝居をすると、なんとなく上っ面になってしまうのだ。技術的な上手い下手とか以前の問題で、なんか嘘っぽくなる。

で、閉じた状態に慣れてしまった人が、また開けるようになるのは簡単じゃないのです。

だから、傷つくのは嫌だけど、芝居が嘘っぽくなるのはもっと嫌なので、私はなるべく開けておくように意識している。

生きてれば岩戸に閉じこもりたくなることもあるけどね…でも、誰も岩戸の前で歌ったり踊ったりしてくんないからね。結局は自力で出るしかないのじゃよ。

だからこう、なんといいますか、心閉じたくない(語彙力どうした)。

 

まぁだから泣きたくなったら泣いて、ガス抜きしながら生きていこうと思っている。

ストレス溜まってきてるな〜という段階で一人で何らかの手段を用いて泣くことにしたら、人前で涙腺が爆発する頻度は圧倒的に減ったし。

(例:米津玄師さんのLemonを聴きながらルパパトの魁利くんの気持ちを妄想するとしんどくて泣けます)(超余談)

若い頃はストレスが溜まってきてることにも気づけなかったんですな。

自分の心の状態に敏感になると、結果あらゆることに過敏に反応しなくて済むようになるというのはあるのかもしれない。

 

最終的に何が言いたかったかっていうと

きっと仮面をかぶって芝居するタイプもいるんだろうなと思うし、普段心を閉じてる人もいるんだろうし、演技でガードする人もいるんだろう。

みんなちがって、みんないい。

否定する気は無い。

なので、私にも私なりのスタンスがあることもご理解いただければ尚良いなと思うという話。

今後変わる可能性もあるけど、今はこう思ってる。

ここまで読んでくれてありがとう。また。

ご機嫌には理由は要らない。

突然だけど

別に、何もなくてもご機嫌でいて良いと思うのだ。

私はよく、特別良いことがあったわけでなくても、そのときの気分で踊り出したりする。

おしりをフリフリしながら料理してるときある。

ノリノリで頭でリズムを刻みながら仕事してるときもあるし。

これらにとくに意味はない。

けど、そうしてるとより楽しくなってきてご機嫌になる。

単純だと侮るなかれ。それだけでわりと幸せ指数が上がるものだ。

 

逆に、機嫌が悪い時は原因を突き止められたほうが良いと思う。

あの人のあの物言いが気に入らなかったとか。

お昼ごはんがいまいち美味しくなかったとか。

寝不足だとか、体調が悪いとか。

原因がわかると、なーんだそんなことかって思って勝手に機嫌が直ることもあるし、そうでなくても対処法を考えられる。

そうしたら、自分で機嫌を直すことができる。

だいたい自分の機嫌を人にとってもらおうなんて考え方がお子ちゃまなのだ。

お子ちゃまなのは味覚だけで充分だぜ。オムライスとかハンバーグとか大好きだぜ。

大人は、自分の機嫌は自分でとるものだぜ。

 

あ、でもそうなると、何をしたら機嫌が良くなるのかは知っておく必要があるな。

私の場合は、甘いものを食べる、寝る、推しの写真を見る、ですぐ機嫌良くなるかな。

甘いもので今一番気に入っているのは「世にも美味しいチョコブラウニー」。一部のNewDaysで売ってる。

寝るときはもう全部放棄してとにかく寝る!

iPhoneの中にある推しフォルダを開いて推しの写真を眺めていると、自然とニマニマしてくる。推しの顔の良さはDNAに素早く届く。

 

機嫌がどうしようもなく悪い時は、むかつくこと全部口に出すとかもやる。もちろん誰もいないところでね。

紙に書き出すという方法もあるけど、私はこっちのほうが効果がある。

大きいカービィのぬいぐるみをパンチすることもある。

涙が出なくなるまでひたすらびーびー泣くこともある。

 

自分に効果のある方法、いくつか知っておくといいよね。

あなたの機嫌を良くする方法は何ですか?

Twitterの引用RTでもいいし、この記事のコメントでもいいので、差し支えのない範囲でぜひ教えてほしい。

参考にして、ご機嫌ライフをより充実させたい。

自分に嘘をつくのはもうやめだ。

アクサガに関して、まだもう一つだけ書きたいことがあったのを思い出したので、おそらくこれがアクサガ 篇最後のブログになるかと思う。

 

これも稽古の初めに大事にしてねと言われたこと。

「自分に嘘をつかない」

今ポジティブな気持ち?ネガティブな気持ち?という二択からスタートしたんだったと思う。

初日からネガティブなんて言ったら印象悪いかな…と頭を過ぎったけど、非常に緊張してグロッキーだったため、嘘をつかないならネガティブだなと手を挙げた。

私の他にもネガティブという人は何人もいたし、今ネガティブな気持ちだから悪いということもなかった。

ここでは気を遣って答えを変えなくて良いんだな、と思った。

今の自分の状態ありきで良いんだな、と。

 

エクササイズでも、相手の提案に対していいなと思ったら乗る、嫌だなと思ったらノン!と言って断るというのがあった。

嫌かどうかわからないこともあって、答えに詰まることもあった。

これをやるには、自分がどう思っているかを知っているということが大事なのだ。

嘘をつかないためには、自分が本当はどう思っているか知らなくてはならないし、自分がどう思っているか知るには、嘘をついてはならない。

禅問答みたいだけど、真理じゃないかと思う。

インプロやエクササイズをやっていても、自分がどう思っているか、どうしたいかが曖昧だと正解を探してしまって、小さくまとまってしまう気がした。

大事なのは正解かどうかじゃない。きっと自分がどう捉えてどうしたいと思うかだ。

 

思えば、今までどれだけ本当は気が進まない飲み会の誘いに乗ってきただろう。

どれだけ、好きだった人の要求に流されてきただろう。

どれだけ、無理して明るく楽しそうに振る舞ってきただろう。

そんなふうに自分に嘘をついていた人間は本当は自分がどうしたい、何が嫌だ、なんてわからなくなって当然なのだ。

嘘を繰り返していると、自分でもどこからが嘘だかわからなくなるのだ。感覚が麻痺するから。

これは危険な状態だなと思った。

それに気がついたとき、大人なので表向き嘘をつくことが避けられないことはあれど、自分が本当はどう思っているかきちんと把握する必要があると思った。

仕事行くけど、本当は行きたくないと思ってるな〜とか

コンビニのドリンクの棚の前で、いま何が一番飲みたいかな〜とか

小さなことから試していくことにした。

自分に今どう思う?どうしたい?と心の中で聞くことにしてみた。

 

思えば(2回目)、気が進まない飲み会が楽しかったためしはなかった。

要求を飲んでも好きだった人が振り向いてくれることはなかった。

無理して明るく楽しそうに振る舞っても虚しいだけだった。

そりゃーそうだ。

飲み会やだな〜って本当は思ってるんだから、楽しさを感じるアンテナも動かない。

好きだった人からすれば、自分の要求をただ飲む人間は便利だろうけど、きっと魅力的じゃない。

本当は楽しくないなら、そう振る舞っても虚しいのは当然だ。

 

劇的な変化はないけれど、少しずつ自分がどう思っているのかわかるようになってきていると思う。

これはアクサガ が終わった今も、こっそり続けている。

コロナの影響もあり、あまり人と関わることがないので人と接する場面になるとどうかはまだわからないけど。

自分が今何を食べたいか?とか何をしたいか?とかはだいぶわかるようになった。

 

相手の提案に乗るか、ノン!って断るかのエクササイズで

えことペアになったときに「魚を捌いて三枚に下ろそうよ!」って言われて「ノン!」って即答したの、我ながら面白かったので忘れない。

これはえこが嫌いなわけじゃないし、この時想像したのがたまたま「生臭そうだし内臓とかぬるぬるだし触りたくない」というネガティブ方面だっただけで、「下ろしたての新鮮な魚、美味しそう!」という気持ちだったら乗ったかもしれない。

断られるのが怖くて誘えないというのが私の中にずっとあるんだけど、断る理由なんて本当に些細なことだから、それほど怖がることもないのでは?と思えたのも今回の収穫だ。

 

そんなこんなで

表向き、建前を言うことはあれど

自分が本当はどう思っているのか、どうしたいのか、自分だけはわかっていようと決めた。

まだまだぼんやりしてるところが多いので、これからもっとはっきりしていくといいなと思う。

がんばるゾイ。

 

これからは日常の中で思ったことや気がついたことを地道にぽつぽつ書いていけたらいいなと思うので、またこのブログを読んでもらえたら嬉しい。

ここまで読んでくれてありがとう。また。